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豊国神社(ほうこくじんじゃ) 豊公このもと祭へ |
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元の名は「樹下社」(このもとのやしろ)。 徳川幕府により豊国大明神(豊臣秀吉公)が 壊された後、密かに公の御霊をお祀りしてきました。 秀吉公は「木下」姓と、「日吉丸」(幼少時代)の名前を 名乗っていましたので、「樹下社」「新日吉社」の名前で カムフラージュして、徳川幕府の監視の目を くぐってきたと伝えられています。 詳細はここをクリック |
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新日吉神宮の境内にあり、近くに有る「豊国神社」(とよくにじんじゃ)とは異なります。 徳川幕府によって壊された豊国大明神は明治時代に 「豊国神社」(とよくにじんじゃ、豊国廟)として再興されました。 |
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樹下社の由来 桃山時代に豊臣秀吉公は方広寺大仏殿を造営し、三十三間堂を 含めて広大な境内域になりました。 慶長三年(1598年)に秀吉公が没し「方広寺」東の「油が峰」に 墓所〈豊国廟社)が設けられましたが、徳川幕府により元和元年 (1615年)に廃止が決定されました。 そのために妙法院門跡・智積院・新日吉社を豊国廟前に移しました。 この時に、豊国社のご神体は新日吉社神殿に密かに遷し祀られました。 天明五年(1785年)に改めて境内社として樹下社(このもとのやしろ)を 造営して豊公の社殿と致しました。「樹下」の神(玉依姫神)の神名を 木下姓に通わせて豊公の御霊を隠し祀られたと言われております。 明治三十年(1897年)に豊臣氏ゆかりの旧大名家が豊国廟の復興を はかり、又その威勢をもって新日吉社は南西方向の現在地に 移動させられました。 新日吉社境内社の豊国社(樹下神社)もその時に現在地に遷座致しました。 |
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このもと祭 2022年(令和4年)このもと祭は11月14日 |
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11月14日に新日吉神宮の「火焚祭」が執り行われます。 このもと祭は火焚祭と合わせて行われます。 14:00 新日吉神宮火焚祭本殿祭 15:00 このもと祭がこのもと社(境内豊国神社)にて行われます。 16:00頃から 湯立て神事 16:30頃から 焚き上げ神事(奉納された火焚き串、護摩木が焚き上げられます。) 神事参加:見学について 14時の火焚祭本殿祭は外から自由見学が出来ます。 15時のこのもと祭は神事参加と自由見学が可能です。 秀吉公神前で玉串拝礼を行い撤饌が受けられます。(先着受付20名) 16時からの湯立て神楽、焚き上げ神事は自由に参加・見学が出来ます。 焚き上げ神事に最後まで残られた方に、炊き上げ火で焼いた 「焼きミカン」が受けられます。 豊国神社トップへ |